1944(昭和19)年の学童集団疎開の実施から今年で70年を迎えます。太平洋戦争時、約40万人の3年生以上
の学童が地方へ疎開しました。
1944年8月31日、大阪・難波の大阪市精華国民学校の学童414人が向かった先は、滋賀県愛知郡(現・東近江
市)。その学童の一人で、約一年余の間、東押立村字平松(現平松町)・東方寺境内の寮(会議所)で過ごし
た成瀬國晴氏が70年前の記憶をたどり、絵筆に思いを託しました。
「入村行進」「もらい風呂」「イナゴを食べる」「防空壕づくり」「大阪が消失した日」など、渾身の描き下ろし作
画77点、寄稿コラムからなる本編、当時の疎開経路資料や元疎開児童たちによるアンケート・座談会などによる資
料編で構成、再び繰り返してはならない戦争の悲劇、平和への切なる願いを次世代に継承すべく、このたびの発刊に至りました